だいずのこと

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だいずが死んで、もう1週間経った。
先週の水曜日、8月21日の朝9時から9時半の間にだいずは逝ってしまった。

お盆に3日間留守番をさせていた。
家に帰ってきたときにはあちこちに吐いた跡があって、棚にしまってあった毛糸を引っ張り出して遊んでいた様子。
ご飯だよと呼んでも来ない。ちゅーるを見せても見向きもしない。
なでると「痛いよ、苦しいよ」というふうに、クークーと鳴く。
いつもはだっこを嫌がるのに、だっこしても逃げる元気もない様子。

嫌な予感がして、晩ご飯を急いで済ませて動物病院を探した。
長泉の先端医療センターがまだ開いていたけれど、今から行っても時間外になってしまう。
時間外の初診料が2万円で、それから検査代が掛かりますので・・・と、受付の人も申し訳無さそうな、あまり乗り気ではない様子。
夜間は医師が1人しかいないし、急変しそうにないのであれば朝まで様子をみてみてはということで、なんとなく気を削がれたというか。
急患の受付はしているようなので、急ぎで診てもらう場合はまた連絡しますと言って電話を切った。
今のところ息は荒くないし、急変したらどんなに高額になろうと病院に連れていくけど、朝まで様子をみてみようと思った。

夜の間、だいずは娘のベッドの上、息子のベッドの上や下に場所を変えながら寝ていた。
こっちは様子が気になって寝るどころではなく、早く朝が来ないかジリジリ待っていた。

早朝、息子が起きてベッドの下にいるだいずに寄り添っていた。
息子が下の部屋にいったので、今度は私がだいずの横で様子をみた。
今すぐどうこうなりそうな様子はなさそうだ。
朝ご飯の支度をして、早めに病院に連れて行くことにした。
もう一度、市内の動物病院を調べてみたら、朝8時半に開く病院があった。
医師が5人いて、年中無休でやってるようだ。
ホームページでエコーや内視鏡の検査ができることも確認できた。ここにしよう。
8時に家を出れば一番に診てもらえる。
娘を起こして、すぐに家を出られるように支度した。

病院では、触診ではよくわからないので、整腸剤でお腹の様子を整えて様子をみるか、お金が掛かるけど検査して原因を探るかどちらにします?というので、出来る検査は全部やってくださいとお願いした。
毛糸を食べているかもしれないことも伝えた。
用がなくても台所をウロウロするような子が何も食べたがらないなんて、絶対普通じゃないから。

昼、三島大社のお祭りを見に行った。
屋台でちょこちょこ食べてお昼を済ませ、3時に病院が開くのを待って、だいずの検査結果を聞きに行った。
エコー検査で異物らしいものがあり、腸の位置が正常な場所にないので、早めに手術した方がいい。
夕方には手術できますというので、今すぐやって下さいとお願いした。

次の日、病院からは何の連絡もない。
何もないということは、手術は無事に終わったんだろうと思う。
術後は興奮しているかもしれないので、面会は明日以降と言われていた。
明日の朝、お見舞いに行ってみよう。

次の日、月曜の朝。
ケージ越しに対面するのかと思っていたら、看護士さんがだいずをだっこして連れてきた。
点滴してる状態だったのに移動させちゃって、だいずの負担になっちゃったかもしれない。
だっこ嫌いなのに、看護師さんにだっこされて、ストレスにならないかな。
鎮痛剤は使っていても、きっとすごく痛いね。
診察台の上に下ろされて、ニャーとも言わないし、全然動かない。

手術で摘出した毛糸も見せてもらった。
腸を5箇所切って出したので、毛糸もバラバラだけど、元は長いままだったみたい。
太くて柔らかい素材だったのが幸い。
猫のおもちゃによくあるような細い糸だと、腸が引っ張られて切れちゃうそうなので。
みかんちゃん愛用の毛布を差し入れ。みかんちゃんの匂いがすれば、少しは落ち着くかな。
あんまり長く入院してると、お互いのことを忘れないか心配もある。

家に帰って、毛糸は全部留め具のついた衣装ケースかダンボールに入れて、猫の手が届かない物置にしまった。

火曜日は息子のことで病院にあちこち行ってたのと、毎日だいずのお見舞いに行くと負担にならないか気になったので、明日お見舞いに行くことにした。

そして、水曜日。
朝、だいずのお見舞いに出かけたら、駐車場がほぼ満車だったのにさほど待たずに名前を呼ばれ、診察室で院長から「ついさっき呼吸が止まってしまった」と言われた。
それを聞いても、意味がわからなくて、「さっき呼吸は止まったけれど、いま安静にしています」という意味だと思った。
そのあと、「キレイに体を洗ってからお渡しします」と言われた。
やっと意味がわかって、その場で泣き崩れた。
診察室に2台の診察台があって、カーテンで仕切られているだけの部屋。
隣で誰かが診察を受けていたけれど、そんなことを気にする余裕もない。
30分くらい泣き続けた。

院長が言うには、8時半に呼吸が乱れ始め、スタッフとあとで検査しようねと話していて、次に見たら呼吸が止まっていたと。
血を吐くとか、何か兆候があればこちらも注意していたんですが、突然のことだったので・・・。

お見舞いのあとに佐野美術館に行こうと思っていたので、9時半くらいに病院に行って、10時に美術館に着くように予定していた。
そんなことをしないで、8時半に病院が開いたときにお見舞いに行っていれば、まだだいずは生きてた。一目会えたのに!
体を洗ったあとに連れてこられただいずは、まだ暖かくて柔らかかった。
手術のためにお腹の毛を全部剃られていて、赤ちゃんの肌みたいだった。

だいずを車に乗せて、娘に横から押さえてもらって家に帰った。
家に着いて、みかんちゃんにだいずを見せてみたけど、みかんは部屋に入らず、ゆっくりしっぽを振りながら遠くから見ているだけ。
まるで、「だいずみたいな何かがいるけど、いつもと雰囲気が違うから様子をみてみよう」と思っているみたいだった。

以前こたろうを火葬してくれたお寺に電話して、明日の午後1時の予約をとった。
ご飯を作る気も食べる気もしない。
こんなときでもお腹はすくし、子どもに何か食べさせないと。
そぼろご飯の材料はあったので、娘に作ってもらった。

夕方、娘とお供え用の花を買いにいった。
息子が「感謝」の花言葉の花がいいというので、どれがいいのか調べた。
ピンクのバラ、かすみそう、ピンクのガーベラくらいか。
花屋さんに、お供え用で花束を作ってもらったけど、入れてもらったユリの匂いがキツかった。

木曜日。
ダンナも1日休みを取ったので、午後1時にみんなでだいずをお寺に連れて行って火葬。
だいずがよく乗っかっていたた洗面所のカゴの下にあったバスタオルを下に敷いて、だいずの口の前にご飯。体の周りにお花を飾り付けた。
病院に持っていったみかんちゃん愛用の毛布もだいずの上に掛けた。

7kgもあったので犬用の骨壺が必要かと思っていたら、ずいぶん小さい骨になった。こたろうより小さい気がする。
あんなに大きかったのに、まだ子供だったのかな。
大型種の猫みたいに、成猫になるまで時間がかかる子だったのかもしれない。
骨の突起が尖っていて、年寄りみたいに摩耗していない。
まだ2才にもなっていないのに。
本当に若かったんだ。

だいずを焼くときに、娘がポロポロ泣いた。
死んだと聞かされたときより泣いた。
それまで、だいずが死んだ実感がわかないと言ってたけれど、形がなくなってしまうことで、もう二度と会えないと実感したらしい。

係のおじさんが少し離れて骨を砕いてきて、小型の骨壺に収まった。
このまま家に連れて帰るけれど、娘の猫なので、その後どうするかは娘に決めてもらう。
ずっと家に置いておくのか、庭に埋めるか。それともお寺に預けるか。
ひとまず、昨日だいずを寝かせておいた和室に骨壷を置いた。

一度家に帰って、病院にだいずの手術代を払いに行った。
院長が挨拶に出てきたので、だいずの最後の様子を確認した。
「人間でいう人工呼吸とか、そういうのはできなかったんでしょうか」と聞いた。
「もう呼吸が止まって時間が経ってしまっていたので」という。

だいず、誰も見ていないときに死んじゃったんだ。
きっと最後とても苦しかったのに。
痛い思いをさせて、知らない人に囲まれて死なせてしまった。
ごめんね、だいず。

寝るときに、そういえばお供えをしてない思い、お水と缶詰とちゅーるをだいずの前に置いてやった。

だいずが死んで1週間。
みかんちゃんが、すごく甘えてくるようになった気がする。
今までやったことがなかったけれど、だいずみたいに私の足先をちょっと触ったり、布団に上がってきたり(だいずは時々私とダンナの間の足元で寝ていた)。
構ってほしそうに鳴くことも多くなった。
だいずがいたときはだいずに遠慮してできなかったことが、できるようになったみたいだ。

子どもが夏休みの宿題で1枚絵を描くことになっていたけれど、娘は自分とだいずが一緒に写っている写真を選び、それはそれはかつてないほど集中して描いた。
いつもなら、私がここを直したほうがいいよと言うとふてくされてしまうけれど、今回は最後まで諦めなかった。
今までで一番気合の入った絵になった。
色鉛筆なので色が薄いけれど、もしかしたら入賞するかもしれないレベル。
息子もだいずの絵を描いたけれど、どうも気持ちが入っていない。
やはり愛の深さが違う。

こたろうが死んだときは、ストレスで急性の腸炎になり、4ヶ月間胃薬を飲み続けた。
母が死んだときも胃の調子がおかしくなり、どうにも治まらないのでしばらくしてから病院に行き、2ヶ月薬を飲み続けた。
だいずが死んで、やっぱり胃の調子がおかしくなってきたので、2日後に病院に行って薬をもらった。
つらいし、悲しくて毎日泣くけど、今までと違うのはみかんちゃんの存在にすごく慰められていること。

こたろうは、私にとって子どもより長く一緒にいた存在で、溺愛した長男のポジションだったので、死んだときのダメージも大きかった。
だいずとみかんちゃんがうちに来たときは、飼い主は子ども、私は孫を見守るおばあちゃん的なポジションにしようと思った。
一歩引いた位置から見守れば、心の均衡が取れるだろうと。
でも、だいずが死んで、いつのまにかだいずもかけがえのない家族の一員になってたんだと気がついた。

だいずはこたろうとは似ても似つかない子だったけれど、それでも大事な存在になった。
これから他の猫を飼ったとしても、やっぱりこたろうやだいずと同じ子はいない。
せいぜい、目の色や柄が似てるとか、思い出す縁として、似たような子を探すことはできるけれど、同じ子はどこにもいないんだ。

大事な存在は増えていって、そしていつか失う。
猫はまた飼うと思うけれど、失ったときのダメージが大きすぎて、怖いと思うようになった。
いつか、そういう思いも達観してみられるようになるのかな。

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