今年の夏は、帰省ついでに、以前から行きたいと思っていた犬島へ(子供はもちろん留守番。ジジババがかわいがってくれました)。
瀬戸内国際芸術祭の期間中ということもあって、船もバスも激混みでしたが、無事に見学できました。
犬島は廃墟というより、アートプロジェクトとして再生してしまったので、立ち入り禁止の場所多数、アートプロジェクト関連は撮影禁止ということで、あまりいい写真は撮れないのですがそれでも、かつて栄えた場所を訪れるとなにがしかのロマンを感じます。
(プロジェクト施設に入って正面から)
(ちょっと登って発電所方面)
(これが発電所跡)
(島の裏側から)
帰りの船の待ち時間が長かったので、島の裏側の方まで見て回りましたが、誰も住んでいない家とか多数あって、「家プロジェクト」よりおもしろい気もしたり・・・。
上の写真は、家プロジェクト作品と隣り合った古民家。
ガラスに写りこんだところまで作品ならおもしろいのだが。
古民家の方が味があって好きだなあ・・・。
(捨てられた家の中ではわりと大きくてきれい。実は誰か住んでるかも?)
かつて誰かが住んでいた場所、人の気配とか・・・。誰もいないんだけど、かえって生命力を感じる。
放っておけば自然にのまれて消えていくものなんだけどね。
アートプロジェクトで古民家の板とか材料で展示を作ったものもあるんですが、「アート」として洗練されればされるほど、あの場所には不似合いで、安っぽく感じてしまう。
漂白され、削られた板に染込んでいた誰かの匂いごと作品にしてくれればよかったのに、とも思う。
そうでないと、ただ作為的というか。
島全体が作品として成立しているのに、違う作品を上から押し込んだような、「あー、蛇足」なカンジ。
もちろん島に住んでいる人の生活もあるし、近代化産業遺産として保存するためアートという手段を選んだという理由もあるとは思いますが、それでも、これってここに必要かなあ、みたいな疑問がついてまわる。
純粋にアートだけを見に行ったとしたら、あの場所をどう感じたんだろうか。
誰かに聞いてみたい気がする。
パンフレットに載っているアートプロジェクトの写真だけを見ると、確かにいいんだけどね。
(今月のCasa BRUTUSとか)
でも、それは誰かのファインダー越しに見た景色であって、その作品を自分の目で直に見るのとはぜんぜん違うからね。
今回は廃墟目的でしたが、もしかすると純粋な廃墟好きの人には受け入れられないかもしれない。
誰かが大事にしている、標本箱に入ったきれいな蝶を見るような感覚がないでもない。
さて、この後はベイビーズが風邪で熱が出たので、他のイベントはすべて中止となりました。
大阪のコリアタウンにも行きたかった・・・。
まあ、新宿でもいいんだけどさ・・・。