週刊 私(11/19~11/25の週記)母の死と、娘の発表会

合計
現在の体重 62.3 62.1 61.7 61.4 61.4 62.1 62.4
夜8時以降に食べない x x 5
1時間程度の運動をした x 1 1.5 x x x x 2.5
ギターの練習をした x 1 1 x x x x 2
チェロの練習をした x 1 0.5 x x x x 1.5
英語の勉強をした x x x x x x x 0
絵を描いた x x x x x x x 0

月曜日
文化祭の振替で学校は休み。
ダンナは有給を取ったので昨日から実家に泊まり。
姉は仕事があるので、通常通り朝早く仕事に行った。
病院は3時から面会なので、本屋とユニクロで買い物して時間をつぶす。

今日は部屋に入る前から涙が出てきて、子どもを部屋に入れていいか聞くときにもう涙腺が崩壊。
いつもつけていたマスクをつけず、口を開いたままベッドで動かない母を見て、子どもたちはどう思っただろう。
怖いかもしれないけれど、こういう姿を見せておくことも大切だと思うので、できるだけ面会させたい。
母にマスクをするか聞いたら、「もうない」というからダンナに売店で買ってきてもらおうとしたら、机の上にあった。
はて???

おしっこをしたいんだけど自分で出せなくなってしまったようなので、11時半くらいに管を入れましたと看護婦さんに説明された。
トレーニングパンツではなく、前開きのオムツを買ってきてくださいと言われる。

一時間ほど部屋にいて、帰り際「もう帰るよ。今日は月曜日。金曜日は祭日だから、また金曜日に来るからね。ママ頑張ってて」と言ったら、母が頬に両手をやった姿が何だか可愛らしくておかしかったけど、あとで姉がマスクを外したというので、あのときのあれはマスクを外してと言いたかったのか。
気が付かなかったことを後悔。

火曜日
兄がメールじゃ面倒くさいからLINEのグループを作れとせっつくので、きょうだいグループを作った。

姉が病院につくと、禁食の札が。
すいのみで飲ませようとしたけど、なかなか飲み込めなかったという。

水曜日
母がどんどん弱っていくので、いざというとき荷物を乗せてすぐに出かけられるように、ダンナと車を交換した。

フラの日
あまりやる気にはならなかったけれど、とりあえず行く。
少し自主練してたので、ハンドモーションのフリと亜麻色のターンはけっこううまくできた。

子どものプールとサッカーの送迎。
念のためにプールに行く途中で出欠はがきを確認したら、今日のレッスンはなかった。
あぶない~。また誰もいないプールに行ってしまうところだった。
車がでかいので、サッカーをやってる広場前の小道を通るのが少々つらい。

息子を迎えに行ったら、ほぼ満月で、しかも朧月夜。
ちょっと幻想的だった。

朧月夜

姉から、母は昨日よりおとなしいと連絡があった。
たまに目を開ける。
もう自分では動けないので、看護婦さんに体の向きを変えてもらっているらしい。
LINEで、明日子どもが学校から帰ったら、まっすぐそちらに行く。5時か6時に着くから、と伝えた。

木曜日
今朝、母が亡くなった。
1年半の闘病生活が終わり、本人もやっとラクになれたかな。

朝ご飯を食べているときに姉から電話があり、この時間に電話が来るということはと、電話に出る前から察しがついた。
危篤だから・・・と言われ、数日前からいつでもすぐに出られるようにまとめておいた荷物を持って、すぐに子どもたちと家を出た。
ダンナは外せない出張があるので、終わったら直接実家に来るという。

途中、姉からLINEで、間に合わなかったと連絡が入った。
高速を飛ばす道中は、何も考えないようにして、子どもが見ているビデオの音だけに集中していた。
考えたら、涙で目が曇って事故るので。

8時40分に実家に着いて、姉からの連絡を待つ。
ここで、子どもたちにおばあちゃんが亡くなったよと伝えた。
子どもたちはどう思ったんだろう。
何も言わず、しばらくしてゲームを始めて待ち時間を潰していた。

医師の診断書では、死亡時間は7時10分となっているけれど、6時の巡回で看護婦さんが見つけたときには、ほぼ亡くなっていた様子。
実際の死亡時間はわからないけれど、6時5分くらいだったらしい。
姉はもう通勤の電車に乗っていたところを引き返して、6時40分くらいに病院に到着。
そのあと父、兄とおばが病院へ。
葬儀会社が迎えに来て、母を安置する場所まで運んでくれるので、そこに集合となった。

家族の誰も最後のときに間に合わなかったけれど、母の口が開いたままだったのを、駆け付けた父がタオルでガッと縛って直したと聞いて、さすがだと思った。
いつ病院から呼び出しが来るかわからなかったので、前回の緊急入院から禁酒してましたが、その禁酒生活も今日でお仕舞い。
母の若い頃の写真を見ながら、ネーミングで選んだこちら(醸造家の夢)を頂きます。
なんとなく、「夢」って言葉が目に止まったのでね。

母の肖像

金曜日
10時にお線香をあげにくる人が何人かいるというので、葬儀場に集合。
昨日の午前中に葬儀会社と打ち合わせして、家族葬にするので、お付き合いがあった人は今日来てくれることになった。
おばがお昼ご飯にとパンをたくさん買ってきてくれたけれど、だんだん人数が増えてきたので、追加の買い出しに出た。
2時に母の友だちが来てくれた。
誰とどういう交友関係があるのかわからなかったので、母の親友2人が朝からずっといてくれて助かった。
この人には声を掛けておかないとという人に、代わりに電話をしてもらった。

4時から、娘は駅裏のレンタルスタジオでピアノの練習へ。
昨日の午後も特にすることがないので、ヤマハのレッスン室を借りたけど、今日行ったスタジオの方がピアノの状態はよかった。

土曜日
今日は母の葬儀の日。
通常の葬儀ではなく、自由葬にした。
今日は友引だったけれど、母は無宗教なので気にしないだろうということで、みんなが参加しやすい日程優先。

喪服で黒いのがゾロゾロくるようなのはイヤだと言っていたので、皆さん平服でご参列くださいと連絡。
兄は喪主だからとかゴニョゴニョ言って裏切ったけど、私と姉は普段着。

通夜なし、香典なし、坊さん呼ばない、戒名不要、明るく見送ってほしいということだったので、告別式のBGMはカーメン・キャバレロのピアノ、出棺のときはエディット・ピアフの「愛の讃歌」でお見送り。

葬式代の半分は花代だったので、ホントに文字通り花に埋め尽くされて出棺。
とても母らしい葬儀だったと、みんな喜んでくれた。

葬儀社の人いわく、「お坊さんを呼んでお経をあげてもらうことで気が休まる人もいるんですが、別れを惜しむ時間があまり取れないので、最近は自由葬を選ぶ方が増えてるんですよ」ということでした。

式の途中、母が飲みたいと言っていたけど飲むことが出来なかったワインを開けて、末期の水みたいにみんなで少しずつ飲ませてあげた。
その残りをもらってきて、今日の晩酌に。
おや、みかんちゃんも付き合うのかな?
なんてね。

母のお気に入りの蒼龍ワイン

日曜日
今日は娘のピアノの発表会。
母の葬儀が一日遅ければ欠席しようと思っていた。
あるいは、娘とダンナだけ先に帰すとか。
もしかしたら、母が気を利かせてくれたのかもしれない。

去年こたろうが死んだときもそうだった。
娘の発表会が終わった2、3日後に死んで、チェロの先生(猫好き)に伝えたら、「発表会が終わるのを待っててくれたんですね」と言ってくれた。
もし、あれが発表会の前だったら、親子アンサンブルは出られなかったと思う。

先週母のお見舞いに行ったとき、娘の練習風景を動画に撮ってきて見せたら、震える手で拍手をしてくれた。
娘が「発表会、頑張るね」と母と約束していたので、今回参加することができてよかった。
お友だちとアンサンブルで出る曲もあったので、なるべく休みたくなかったし。

葬儀場が駅から近かったので、ピアノの練習が出来るレンタルスタジオが結構あって、毎日練習も出来た。
時間が限られているので、すごい集中して練習できて、家でやるよりよかったかも(家だと5分おきに疲れたー、となるので)。

本番は緊張したせいか、いつもよりペースがあがって何音かすっ飛ばしてしまったけれど、苦手な部分が全部出来てて、なかなかいい演奏ができたと思う。
普段練習中に何か言うと、すぐに「間違ってないもん、譜面通りに弾けたからいいでしょ」と不機嫌になってしまうけれど、今回は「おばあちゃんに聞かせるつもりで弾いてごらん」と言って送り出したので、中盤のゆったりメロディを聞かせるパートは、いつもより優しい音が出ていた気がする。

なにより、誰かのことを思いながら弾くのは、いい経験になったと思う。